【書評】アフリカに渡った日本人(時事通信社)

今でこそ学生でも気軽に行けるようになったアフリカですが、その昔の日本にとっては大変遠い存在でした。でも当時から、アフリカに渡った日本人は確かに存在しました。そんな先駆者たちを取り上げた一冊です。

次の三章から構成される本書の中で、南アフリカ共和国(南ア)は第一章と第二章に主に登場します。

第一章 忘れられた世界無銭旅行家中村直吉
第二章 アフリカに根を張った日本商人たち
第三章 アフリカの「からゆきさん」

第一章の主人公中村直吉は明治36年(1903年)に南アフリカや東アフリカを訪問した、愛知県・豊橋市出身の人物です。アフリカだけではなく世界中を旅した中村は旅の記録を、アフリカを訪問した日本人によって一般向けに刊行された、アフリカを表題とする初めての書物とされる探検旅行記「阿弗利加一周」として発表しています。

中村が南アを訪問した頃、同国では後のアパルトヘイトにつながる数々の人種差別が整備されていました。黒人の置かれた状況について、中村はこのように語っています。

吾輩は所謂文明国の圧迫を被った黒人はミゼラブルなものだと思った。吾輩は此事実に就き世界人道のために論議したい。白人と黒人との人類としての絶対値にどれだけの相違があるかを。平常識者面をすることの好きな英人に訊きたいと思ふのである。若し此事に就いて明白な答を聞くことができたならば、吾輩は自ら改むるに吝なるものでない。が、不幸にしてそれができないといふならば、残念ながら南亜の英人に対する我輩の尊敬を取り消さなければならぬ。

もちろん、アジア人である中村も旅を続けるには大変な苦労があったようです。そんな中で、あの手この手を使って旅を続けたたくましさには、時代の違いを超えて感心させられました。

第二章で登場する古谷駒吉は、そんな中村も頼りにした人物です。古谷は米国のサンフランシスコの商店店員、ホノルルでの商店経営を経て、ケープタウンで小売店「ミカド商会」を経営します。第二次ボーア戦争の特需に恵まれたこと、また、セシル・ローズ博物館の東洋古器物の鑑定を依頼されたことなどをきっかけに商売は順調に成長。ケープタウンではかなりの信頼を得ていたとされる人物です。

ところが、そんな古谷でもヨハネスブルグへの出店は、トランスバールの当局によって拒否されてしまった――このエピソードからも、当時の人種差別が相当に厳しかったことがうかがい知れました。

残念なことに、古谷は日本滞在中に関東大震災に遭遇して命を落としてしまい、その後のミカド商会は森村商事の傘下に入ることとなります。

現在でも多くの日本企業が南アに駐在員を置いています。しかし、「もしも」古谷が亡くなることなくミカド商会の後継者が育ち、南アに根を張る日系企業が存在していたら、日本と南アの経済関係は違ったものになっていたのではないか――古谷のエピソードからはそんなことを考えさせられました。

本日の一冊

明治時代のアフリカに、すごい日本人がいた。いまや幻となった群像に光をあてたノンフィクション。

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日本人はアフリカの人々とどのような接触を経験し、どんなアフリカ認識を作ってきたのか。またそれはいかなる変遷を遂げてきたのだろうか。本書は、安土桃山時代の遭遇から間接情報に依存する江戸時代を経て、明治以降の地理書、政治小説や探検記、外交使節の記録、さらに大正・昭和の映画や冒険・秘境小説といった大衆文化に至るまで、アフリカ情報の受容を明らかにしながら、日本とアフリカの交渉の歴史を跡づける。「空白」から「闇黒」へ―日本におけるアフリカ・イメージの変容には、何が介在したのか。日本・アフリカ関係史に比較文化の視角から光をあて、西欧近代のアフリカ観を自らの眼差しとして抱えこんだ近代日本の自己認識のありかを問う。

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